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三才。
気がつくと僕は団地の六階に住んでいた。
そこには、僕とお母さん、おばあちゃん、おじさんが住んでいた。
あれ?
なんでお父さんがいないんだ。
四才。
僕にやっと待望のお父さんができた。
大人たちが子供をさずかったときの気持ちって今の僕に似ているのだろうか。
お母さんとお父さんの結婚式がすぐに行われた。
僕は知らない大人たちから「とおるくん、とおるくん」と可愛がられ、「これ食べなさい、あれも食べなさい」と料理を勧められた。
その夜、僕は急性胃腸炎ではじめて救急車に乗った。
僕の体調が良くなると、お父さんは虫とりや魚釣り、糸でんわ、牛乳パックの工作だとか楽しい遊びをたくさん教えてくれた。
五才。
僕はひとりだけ団地の六階に連れて行かれた。
「少しの間だけ、おばあちゃんとおじさんと暮らすのよ」とお母さんは言った。
僕はお父さんともっと遊びたかったけれど、おばあちゃんも大好きだったのでダダはこねなかった。
30日が何回かすぎた頃、お母さんが迎えにきた。やっとお父さんの家で住む資格を与えられたのだ。
でも、お母さんが何か変だ。お腹が大きくなっている。
そしてまた30日が何回かすぎた寒い冬の日に、妹が生まれた。
七才。
家出をした。
僕ばっかり怒られて、お父さんもお母さんも妹だけを可愛がっているように思えた。
とあるポカポカ晴れた日曜日のお昼に家を出た。
行くあてなんて全くないけどズンズン歩いた。
僕の足は自然と、小学校に向かっていた。
誰もいない学校のグラウンド。寂しくってドカンに入り、体育座りをずっとしていた。
夕焼け空になった頃、ブランコをこいでいたら、お父さんが僕の方へ駆けてきた。
その日の夕飯は何を食べたか忘れたけれど、とてもおいしかったことだけ覚えている。
十一歳。
小学校2年生からやっていた少年野球だったが、6年生になっても結局レギュラーにはなれなかった。
だけど、新チームになってからの初めての試合で途中出場した僕は二安打を放ち、サヨナラ勝ちに大きく貢献した。
監督からも褒められ、応援に来ていたお母さんがそれをお父さんに話してくれた。
お父さんはとても喜んで、はじめて本格的に野球を教えてくれた。
必ずプロ野球選手になろうと強く意識した。
十三才。
鬼怒川温泉に家族旅行に行った。
おばあちゃんの家以外で家族揃って泊まるのは、おそらく初めてのことだった。
「去年から旅行資金を貯めていたのよ」とお母さんは自慢するように言うけれど、お父さんはちょうど去年から仕事をしていなかった。
とにかく、とても楽しい旅行だった。
家族みんなで写真もたくさん撮った。
だけど、帰りの列車のお母さんの寝顔は何となく悲しそうだった。
十四才。
引越しをした。
父だけ家に残った。
父と母は離婚したのだ。
二十才。
家族がバラバラになってもうすぐ六年になる。
この削除されたコミュニティは元通りには戻らないのだろうか。
高野 徹
語りリンクへ
僕にやっと待望のお父さんができた。
大人たちが子供をさずかったときの気持ちって今の僕に似ているのだろうか。
お母さんとお父さんの結婚式がすぐに行われた。
僕は知らない大人たちから「とおるくん、とおるくん」と可愛がられ、「これ食べなさい、あれも食べなさい」と料理を勧められた。
その夜、僕は急性胃腸炎ではじめて救急車に乗った。
僕の体調が良くなると、お父さんは虫とりや魚釣り、糸でんわ、牛乳パックの工作だとか楽しい遊びをたくさん教えてくれた。
五才。
僕はひとりだけ団地の六階に連れて行かれた。
「少しの間だけ、おばあちゃんとおじさんと暮らすのよ」とお母さんは言った。
僕はお父さんともっと遊びたかったけれど、おばあちゃんも大好きだったのでダダはこねなかった。
30日が何回かすぎた頃、お母さんが迎えにきた。やっとお父さんの家で住む資格を与えられたのだ。
でも、お母さんが何か変だ。お腹が大きくなっている。
そしてまた30日が何回かすぎた寒い冬の日に、妹が生まれた。
七才。
家出をした。
僕ばっかり怒られて、お父さんもお母さんも妹だけを可愛がっているように思えた。
とあるポカポカ晴れた日曜日のお昼に家を出た。
行くあてなんて全くないけどズンズン歩いた。
僕の足は自然と、小学校に向かっていた。
誰もいない学校のグラウンド。寂しくってドカンに入り、体育座りをずっとしていた。
夕焼け空になった頃、ブランコをこいでいたら、お父さんが僕の方へ駆けてきた。
その日の夕飯は何を食べたか忘れたけれど、とてもおいしかったことだけ覚えている。
十一歳。
小学校2年生からやっていた少年野球だったが、6年生になっても結局レギュラーにはなれなかった。
だけど、新チームになってからの初めての試合で途中出場した僕は二安打を放ち、サヨナラ勝ちに大きく貢献した。
監督からも褒められ、応援に来ていたお母さんがそれをお父さんに話してくれた。
お父さんはとても喜んで、はじめて本格的に野球を教えてくれた。
必ずプロ野球選手になろうと強く意識した。
十三才。
鬼怒川温泉に家族旅行に行った。
おばあちゃんの家以外で家族揃って泊まるのは、おそらく初めてのことだった。
「去年から旅行資金を貯めていたのよ」とお母さんは自慢するように言うけれど、お父さんはちょうど去年から仕事をしていなかった。
とにかく、とても楽しい旅行だった。
家族みんなで写真もたくさん撮った。
だけど、帰りの列車のお母さんの寝顔は何となく悲しそうだった。
十四才。
引越しをした。
父だけ家に残った。
父と母は離婚したのだ。
二十才。
家族がバラバラになってもうすぐ六年になる。
この削除されたコミュニティは元通りには戻らないのだろうか。
高野 徹
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